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主催 |
静岡県立清水西高等学校第42回生(昭和30年卒)同窓会 |
後援 |
静岡県清水市教育委員会
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![]() 夕暮れの巴川(柳橋近辺)
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『巴川界隈 清水』公演プログラムより抜粋 |
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ご挨拶
劇団代表・演出:伊藤幸夫 |
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作者小島真木の同窓生の皆様の熱いご支援をいただいて、「巴川界隈」清水公演を実現できましたことを心より感謝申しあげるとともに、現地での上演ということで、不安と喜びでいっぱいの心境です。 実行委員会立ち上げの時点では、二回上演はとても無理ではないかと不安の想いがありましたが、一ケ月前のいま、二回とも満席とのことで、実行委員会の皆様のエネルギーの爆発にただもう驚嘆するばかりです。 劇団としては観客の皆様の期待にこたえる舞台をなんとしても創りあげねばならないと、燃えに燃えております。 演劇は 作者、観客、上演者の三つ巴の生き生きとした交流によって創造される、瞬間のナマの芸術です。 その瞬間を体感できることへの期待に胸をおどらせています。 劇団静芸は昭和二十三年(一九四八年) に発足、以来五十数年地域劇団としての歴史を重ねてきました。 この道は決して平坦なものではなく、毎公演危うい綱渡りの公演を続けてきましたが、「地域に根ざす演劇創造」の柱を守り、多くの観客にご支援をいただいたからこそできたことだと考えております。 「巴川界隈」 はその頂点に立つものだと自負しております。 地域に密着し、人々の暮らしを見つめ、人々の心を深く掘りすすめていけば、必ず普遍に達すると思われます。 人間の真実をわかりやすく、生き生きと描き出す舞台をめざして精進していきたいと思います。 今後ともよろしくお願いいたします。 |
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『巴川界隈 清水』公演プログラムより抜粋 |
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巴川雑感
劇作家:小島真木 |
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今ではその場所も思い出せないのだが、沼のような湿地から、一筋の細い流れが出ている。友人から「これが巴川の源流だよ。」と教えられて、思わず「嘘だ!」と叫んでしまった。 巴川は、清水の山の中から流れ出ていると固く信じ込んでいた、少女時代のことである。これがあの巴川の源流であるはずがないと、怒りに近い感情で思った。 富士山は、清水周辺でしか見られないと思い込んでいた子供の頃と同じ種類の思い込みに過ぎないのだが、今でも静岡市内を流れている川幅の狭い巴川を見ると、この川が清水を流れているあの巴川なのだということが、信じられない気持ちが残ってしまう。 今私の持っている巴川についてのイメージは子供の足で辿り、その視野でとらえられる限りのものでしかないだが、少し川幅の狭い上流に行くと材木や合板の会社があり、そこから少し下ると瓦がずらっと干してある瓦屋が続く。向こう岸に古い遊廓の建物が見えるあたりを下った稚児橋から柳橋、大正橋付近が下町で、「巴川界隈」の舞台になる゛私の巴川゛のエリアに入る。 そこをずっと下った清水の次郎長の生家近くを流れる巴川は、昔の船頭衆の町の面影を残して釣り船がもやっていたり、河口に近い潮の匂いもする。 川は、流れる畔の自然や人々のくらしに彩られて変化し、様々な相をみせる。街の真中を流れる巴川については、どの辺りに住んでいたかという事で、その川に抱くイメージはそれぞれ異なってくる。 私の記憶に残る巴川は、その周辺の下町のくらしを映した巴川の一つの断片にしか過ぎないのだろう。 そして、川と共にその界隈にくらしていた人々の記憶も、その人々の生の一瞬のきらめきに過ぎないのかもしれない。 ゆるやかな巴川の流れのように、一片の生の感触を私の中に残して深い闇の中に消えて行った人々の姿を、余白の少なくなった私のいまの地点で書き留めておきたいと思った。 ゆるやかな巴川の流れは、人々の歩き去っていく生のリズムを刻んでいるように感じられる。 |
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